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小平の片隅で 花小金井 社会保険労務士 updated 2026-06-08

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令和8年度ベースアップ評価料につき、「ベースアップ評価料届出様式(様式95~100)」が厚労省サイトにアップされています。このエクセルの様式シート、永続版Officeの場合、Office2019(エクセル2019)では正しい自動計算結果が表示されないようです。Office2024(エクセル2024)以降のバージョンでの使用を要します。(2026.5.6)
 
※上記につき、2026.5.7更新版より、改善されたようです(2026.5.8)

[ベースアップ評価料Ⅱ]
 
■ベースアップ評価料Ⅱの要件として、「社会保険診療等に係る収入金額の合計額が、総収入の100分の80を超えることと」とされています。この基準は、届出月ではなく、年度単位にて判断します。
 
■ベースアップ評価料Ⅱに関し、区分変更時の届出として、下記のように定められています。
 
(区分変更時の届出)
届け出た時点と比較して、対象職員の数又は3月ごとの外来・在宅ベースアップ評価料(Ⅰ)及び歯科外来・在宅ベースアップ評価料(Ⅰ)の合計算定回数に1割以上の変動があった場合であって、改めて区分を算出した場合に区分の変動がある場合には、算出を行った月内に地方厚生(支)局長に届出を行った上で、翌月から変更後の区分に基づく点数を算定すること。
 
上記につき、「3月ごとの」と定められており、「3月ごとに」ではありません。よって、毎月算出を行う必要があります。なお、改定前は、「毎年3、6、9、12月に区分計算を新たに算出する」とされていました。
 
[繰り越した場合の扱い]
 
■繰り越した場合につき、下記、扱うこととされています(疑義解釈より)
 
◆令和8年度診療報酬改定後のベースアップ評価料の施設基準においては、ベースアップ評価料による収入の繰り越しに係る規定はないが、令和8年度診療報酬改定前のベースアップ評価料等による収入について、令和8年度に繰り越した場合の取扱い如何。
→令和8年度診療報酬改定前の施設基準に基づき、令和8年12月までに賃金の改善措置を行う必要がある。なお、この場合、令和8年度の賃金改善実績報告書において、令和7年度のベースアップ評価料による収入の繰越額は、「前年度からの繰越額(令和8年度分報告時のみ記載)」に、対象職員への実績としては「ベア等に伴う賞与、時間外手当、法定福利費(事業者負担分等を含む。)等の増加分に用いた額」に、それぞれ記載すること。
 
◆令和8年度診療報酬改定において、翌年度の賃金の改善のために繰り越しを行う場合に係る要件が削除されたが、看護職員処遇改善評価料及びベースアップ評価料等で得られた収入を翌年度の賃金改善に用いるために繰り越すことは認められないのか。
→令和8年度診療報酬改定においては、令和8年度及び令和9年度において段階的にベースアップ評価料により得られる収入を引き上げる措置が講じられていることから、令和8年6月から令和9年5月までに得られた収入については、原則として、令和9年5月までの賃金改善に用いる必要がある。令和9年度についても同様である。ただし、それまでの患者数等に基づいてベースアップ評価料による収入額及び賃金改善額を見積もったにもかかわらず、患者数等の変動により、当該評価料収入額が確定した後にやむを得ず残余が生じた場合については、該当年度の実績報告書を提出する8月までの対象職員への賃金改善分に充当し、当該充当分を含めて報告することとして差し支えない。

ベースアップ評価料
 
厚労省資料によると、ベースアップ評価料につき、令和7年3月時点での届出受理割合は、下記の通りでした。
 
病院86.0パーセント
有床診療所39.6パーセント
医科診療所30.1パーセント
歯科診療所23.9パーセント
 
病院を除き、けっして高い数字ではないのは、制度が周知されていないというよりも、メリットがないとの判断により、見送った診療所が多いと思われます。
 
結果、賃金改善が進んでいないことなどを背景に、令和8年度からはベースアップ評価料の点数が大きく引き上げられる予定です。
 
現行
外来・在宅ベースアップ評価料(Ⅰ)
1 初診時    6点
2 再診時等  2点
 
改定後
外来・在宅ベースアップ評価料(Ⅰ)
1 初診時    17点
2 再診時等   4点
 
その他、改定後は対象職員が拡大され、また、令和7年度からベースアップ評価料(Ⅰ)については様式が簡素化されたことなどもあり、見送っていた診療所等でも導入を検討しているところが増えているようです。(2026.3)

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2023.10.21
いよいよ本当の最期 
 
 いよいよ最期の時を迎える。来年の冬、あるいは夏頃かと思っていた。もしくは、89歳まではなんとか、できれば90歳まではと。少し早まった。
この3か月、4回救急車で搬送され、そのうち2回入院。誤嚥性肺炎とコロナ。コロナは先週退院したばかりだった。
 そして一昨日の夜、発熱。またしても誤嚥性肺炎。繰り返すとは聞いていたが、コロナから回復したとはいえ、肺に対するダメージは大きかったようだ。酸素吸入器を取り入れ、今日はそれまでの5リットルタイプから7リットルタイプに入れ替えた。だが、思ったよりも酸素濃度は上がらない。
 
 採血の結果、かなり数値が悪く、場合によっては一週間持たないとのこと。入院を決めるのなら、今日が最後のタイミングだという。週明けの判断では、おそらくは受入れが難しいという。訪問診療のクリニックの提携先の病院側の都合もあるのだろう。あるいは、最期の面倒だけ病院でと言われても、それは困るといった病院の事情もあるようだ。
 
 覚悟はしていた。けど、いざ、その瞬間が来ると、やはり逡巡してしまう。訪問診療のクリニックからは、何度も「どうしますか」と電話がかかってくる。何度も確認した。現在、食事が摂れない状態。入院したからといって、食事の摂取が可能になるわけではない。点滴は打つことになるだろうが、栄養補給にはならない。入院したとしても、そのまま最期を迎える可能性が高いとのこと。
 
 ならば、やはり在宅での看取りを選択した。病院でひとりで逝くのは寂しいだろう。自分の家で、誰かに見守られながら逝くのがいいだろうと。自宅で最期を迎えるか、病院で最期を迎えるか。それも大事なことだが、最期の瞬間、誰が側にいてくれるか、それもまた大事なことだとの話がある。
 
 また、僕自身、責任を負おうと思う。負わなければいけないだろうと。さっき、話しかけてきた。介護を始めて3年、色々あったなぁと。返事はないが、言葉は届いている様子だ。本当に色々あった。そして、いよいよ本当の最期だ。
 
 
2023.10.22 未明
母、逝去。
 
なんだか笑ってるねぇ。気のせい?
今、僕は初めてほっとすることができたような気がする。2023.10.23 午前3時。
 
 
2023.10.25 23時52分
 
入院し、翌朝、空のベッドを目にした際の違和感。ある種の寂しさだったりする。葬儀を終え、やはりいやしない。ただ、骨壺と遺影が置かれている。存在として、確かに何か残っている。この違和感も、また別の寂しさを伴う。
 
人は死ぬんだなと思った。
 
葬儀を終えて。
 
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 冷たくなっていたことに気づいてから、自宅での葬儀まで4日間。この4日間の出来事こそ、最も大事な時間だったのではないかと思う。
僕は何を思い、何を考えたのか。既に忘れかけているのがもったいない。時間をかけて、思い出そうと思う。僕はこの遺体と一緒に過ごした4日間のためにこそ、介護を担ってきたと言ってもいいような気もする。
 
 棺が届く前日の夜、棺の中に何を入れるか、箪笥や棚の引き出しの中、あれがあったはずだと、いろいろ探していた。安物ではあるが、僕が買ってあげた冬用の2枚のセーターをまだ介護ベッドの上で寝ていた親に、
「これ、そろそろ寒くなるから、着て逝ってくれ」
と、羽織ってあげた。その時、僕はこの4日間を通してただ一度だけ涙を流した。
 
 翌日、遺体を棺へ移す。儀式的なことはしなかったが、納棺。庭先の花を摘み、花瓶に差し棺の周囲に置く。手作り感があって、僕はこの状況が気に入っていた。文化祭の準備をしているような感覚。
 
 3日目、供花が届き、葬儀屋さんによる設営。にぎやかな棺まわりにこそなったが、逆に手作り感がなくなり、少し残念な気もした。葬儀屋の式場でならばともかく、何基もの供花が置かれた風景は、自宅の狭い室内にはそぐわないのではないかと。
庭の花で埋められれば良かったのだが、今の時期、残念ながらほとんど目立つような花が咲いていない。それでも、ピラカンサス、ススキ、うどの実、赤くなる前、まだ緑色の万両か千両の実、昔、親に教えてもらったが忘れてしまった赤い小さな花(おそらくオシロイバナ)、野草の白い花をなんとか集めた。
 
 夜中、僕は何度も声をかけていた。
「ばあちゃん、明日はいい天気らしいぜ。よかったな」
「ばあちゃん、自分か作った句集、忘れずに持っていきや。向こうで、これ、自分が作ったって、話してやりな」
「ばあちゃん、おむつは恥ずかしいから、下着も入れとくしな」
「ばあちゃん、夏服も入れといたぜ」
「ばあちゃん、やっぱり寂しいな。やっぱり寂しいよ」
「ばあちゃん、何か言ってくれよ。何か言ってくれると、嬉しいんだけどな」
 
 息を引き取る前の晩、僕も寝る直前、僕はこう話しかけていた。
「ばあちゃん、人生、いろいろあったよな」
「そりゃぁ、そうだよな、八十八年も生きたんだもんな」
「もうちょっとで八十九だぜ。頑張ろうよ。できたら九十までな」
声は届いていたが、返事はない。もっと話しかけていればよかったと思うが、熱が下がらず、酸素濃度も上がらない状況だったからこそ、話しかけられた内容だったとも思う。
 
 設営を終えた3日目の夕方と翌日の葬儀当日、近所の人もいっぱい集まってくれた。みんな、幸せだったね、最期まで子供に面倒を見てもらえて羨ましいって言ってくれた。最初、息を引き取ったと伝えに言った時、泣いてくれた人もいた。
斎場から帰って、夕方、近所の人にも3人ほど声をかけて自宅に来てもらって家で食事をした。
「ばあちゃん、いい会食だったな」
「この4日間、特に自宅での様子、ばあちゃんにも見てもらいたかったよ」
 
 俺、明日から仕事に戻れるかなぁ。もちろん、戻らないといけないんだけど、戻りたくない自分もいる。もう少し、この4日間の余韻を味わっていたい。現にこうして今も、眠いけど寝たくはない。そのため、だらだらとこの文章を書いている。昔の人が、もっと葬儀に時間をかけていたのは、そんな思いもあったのかもしれないと思う。いい4日間だったということなのだろう。恥ずかしいけど、こうも言っておこう。
「ばあちゃん、ありがとう」
 
支えて頂いたみなさまに厚く感謝いたします。
澁谷直道